- ●●●はじめに
- ●●●著作権はいつ成立するのか?
- ●●●著作権の成立の時期が問題になる場合?
- ●●●問題になりうるのは防御側の創作の時期か?
- ●●●コピーであることを立証しやすくする手段の提 供
- ●●●今、なぜ、エージェント業務の意味を問うのか?
そこで、今回は、著作物の管理に関わるいくつかの基本的な知識について議論 しておこう。
この条文を一見した限りでは、どこが著作権の成立の時期に関係するのか分か りづらい。が、一般的な解説によれば、著作権は(そして著作者人格権も)、"創 作という事実により当然に発生するものであることを定めたものである"とされ ている[1]。要するに、なんらかの著作物が作られれ ば、登録も何も要せず、著作権は発生するということだ。
最近、著作者に対して、"あなたの著作権を主張できるようにするために登録 させてあげます"といって登録料を徴収するビジネスを目論むものが存在するや に聴く。だが、これはまったくおかしな話しである。我々の著作権は我々が作品 を作り上げることによってのみ、自動的に成立するのであって、このようなあや しげな商法に引っかからないように注意しておきたいものだ。
もっとも、作家Cが彼女のマルチメディア・タイトル作品に対する著作権を担 保にして金融期間Dから融資を受けようとするような場合には、いちおう著作権 が発生済みであるかどうかが問題になりそうに見えなくもない。だが、金融期間 Dが通常程度に慎重であるならば、"作品がすでに出来上がったことを自分の目で 確かめて、その上で、この作品のマーケティング資金をCに融資する"という態度 をとるはずだ。つまり、DがCに対する融資を決断するときには、作品がすでにで きあがっており、よって、当然のごとく著作権も成立しているのだから、いまさ ら著作権の成立の時期を問題にする必要もない。
たまたまEの制作した作品(WE)が、Fが以前に制作した 作品(WF)にそっくりだったとしよう。WEがWFの模倣でありFの著作権(その一支 分権である複製権)を侵害しているとFが疑うのは無理からぬところだろう。だが、 もし、EがWFに依拠することなくWEを制作したのだとしたら、WEはWFの著作権を侵害することはない。著作権法は、模倣でない限り はたまたま同じ作品が世の中に複数存在したとしても、それを問題とはしないか らだ[2]。とはいうものの、裁判官は神ならぬ身であ るから、本当にEがFの作品の真似をしなかったのかどうかはよく分からない。そ こで、"EがWFに接触したことがあり"、かつ、"WEがWFにそっくりである"ならば、よほど の反証がない限りEがFの作品の真似をしたのだと推定せざるを得ない。
もし、WFが世の中に広く流布していたとすると、Eとし ては、本当は真似をしていなかったのだとしても、反証ははなはだ困難になる。 もっとも、"EはWFが流布し始めるより前に、すでに、 WEを完成していた"という事実を示す根拠があれば、Eに とっては救いになるかもしれない。もし、WEがプログラ ムの著作物であるならば、その本来の目的とは異なるものの、完成直後にその創 作年月日の登録(著作権法第76条の2)をしておくと、それなりの意味はある かもしれない(あるとは断言できませんが)。WEがプロ グラムの著作物でないとしても、Eがさっさと公表してしまえば、文化庁におけ る実名の登録(著作権法第75条)ができるから、これもまたこの登録なる制度 の本来の目的とは異なるかもしれないが、それなりの意味はあるかもしれない (あるとは断言できません)。Eは、WEをEのWWWサイトに でもおいておけば、"有線送信の方法で公衆に提示"したことになるからそれで 公表になるはずだ(著作権第4条第1項)。たまたまだれも見てくれなかったと して公表できなくなるわけではない(注3)。
だが、WEがプログラムの著作物ではなく、かつ、Eとし てはしばらく公表したくないんだという場合に、"ある時点ではすでにWEを完成していたのだ"ということを証明する手段があるだろう か、という問題は残るかもしれない。これについては、公証人のもとにWEかまたはそのコピーを持っておもむいて、いわゆる「事実実験 公正証書」を作ってもらうのが手であるかもしれない[4]。
なんといっても、他人からの法的攻撃を防御して生きながらえようという重要 な場面での証拠作りであるから、公証人と似て非なる私的な手段を御客様にすす めるようなことは職業的法律家である私としては、躊躇してしまう。また、もし、 私がそのような私的な手段を構築する企業に助言をするとすれば、少なくともこ れだけは守ってもらいたいという点をいくつか挙げておかないわけにはいかない (もっとも、私個人としては、そのような企業のために活動したいとは、今のと ころ思わないが。むしろ、公証人の面前に行かなくても公証人からこの種のサー ビスを受けることができるような技術的インフラストラクチュアーの確立と、そ れを前提とした公証人法の改正が望まれるところではある):
●その企業が公証人のような法的に認められた地位を有するものではなくて事実 上のものにすぎないことを顧客に書面および口頭で十分に説明すべきである。●その企業が記録の保持と正確性の担保のためにどのような技術的および人的手 段を講じているのか、そのリスクとともに明らかにすべきである。
●その企業の事故、倒産等の結果、顧客に損害が生じた場合、顧客に対してどの ような補償ができるのか、適切な保険商品の設定(果たして保険会社が応ずるも のかな?)とともに、顧客に十分に説明すべきである。
これに対しては、画像に特定のデータを埋め込んでおき(いわゆる"透かし"デー タ)、無断複製であると思われる画像にその同じデータが入っているかどうかを 検査する方法があり得る。あるいは、唯一無二のはずの透かしデータの存在を WWW上でlocateして、かたっぱしから無断複製の存在を探索する方法もあり得よ う。このような透かしデータを埋め込むサービスを権利者または正当に権利者か らライセンスを受けた利用者に対して提供するビジネスというのは、成立し得る だろう。
ただし、このようなビジネスを起こす企業についても、前記に列挙したのと同 じような、顧客に対する十分なリスク情報の開示が求められるところである。こ のような企業の言うことを信じて、実は無断複製をしていない人に対して法的請 求をした結果、逆に責任を問われるはめになっては泣くに泣けない。
私は、個人的には、著作物なぞは使っていただいてはじめて意味があるのであっ て、多少の無断複製も宣伝効果があるならばどうぞどうぞと言いたい立場である から、この種のサービスを"ものすごく"好きになることはできない。ただ、公 証人ならざる私人が行う創作時期証明サービスに比べれば、顧客の混乱が少ない とも思えるから、好き嫌いは別にして、このようなサービスに否定的になる必要 はなさそうである。
以上は、著作物なり著作権なりの管理サービスを提供しようと試みる側から生 ずるさまざまな質問に対して、いわば、そのような質問をする前に考えておくべ き基本的なことがらがいくつもあることを示唆するものだ。
他方では、著作者の側から、どうも解せない、という疑問が著作物なり著作権 なりの利用のための管理サービスのあり方に対して呈せられることが多い。とり わけ、"エージェント"と称する者の立場がよく分からない。本当に自分のため に働いてくれているのか、という疑問が発せられる。この問題について、しばら く考えてみよう。
だが、インターネットの普及によって、個人がWWWサイトを解説して情報を発 信することは、極めて容易になっている(見てもらえるかどうかは別として)。 そうなると、もはや、エージェント業務の存在価値はないのではないか、あるい は、今さらエージェント業務の法的意味を議論しても始まらないのではないか、 といった疑問をもたれる向きもあるだろう。だが、インターネット利用の普及に よって、むしろ、エージェント業務の価値が高まるのではないかとも考えられる。 その理由はこうだ:
●第一に、創作者が常に自ら情報発信の準備を整えるとは限らない。創作者は、 あまりにも忙しいか、または、怠惰であるか、あるいは、余計なことに神経を使 う時間的なまたは精神的な余裕がなく、情報発信の準備を整えるのは、それに手 馴れた人に任せたいと考えることは多そうである。
●第二に、創作者と利用者または媒体との間の、情報の拡布の条件の交渉がなく なるとは思えない。
●第三に、インターネット上における創作者から最終利用者 (end user) に対す る直接の情報提供が普及したとしても、やはり、新聞、書籍、音楽CD、映画、テ レビ放送、ビデオグラム、舞台演劇のような伝統的な"1対不特定多数"の拡布 を主流の位置に据えそうでもある。このような"1対不特定多数"の拡布手段を 用いたビジネスは極めてテクニカルな面が多く、素人の手に負えるものではない という心配がある。したがって、創作者との立場を代弁し、メディアとの間で強 力な交渉を展開するエージェントの役割が絶えることはないと考えざるを得ない。
むしろ、インターネット上で、あるいは、他のメディアとのインターネットの 双方にリンクしたような情報発信が今後ますます増えていくとすれば、エージェ ントの役割はますます重要になるはずだ。ところが、現実の世界では、エージェ ントの機能は何なのか、エージェント業務の法的意味は何なのか、エージェント と創作者との間の契約はどのようなものであるべきなのか、エージェントは誰の 利益のためにどのようなモラル・スタンダードに則って動くべきなのか、といっ た基本的な問題がほとんど完全にないがしろにされている(少なくとも日本では)。 そのため、次のような理由から生ずる創作者とエージェント(と称する者)との 間の紛争が絶えない。
エージェントが創作者の利益のために動いているのか、エージェント自身の利 益のために動いているのか、(創作者と本来は利害が対立する関係にあるはずの) ライセンシーのために動いているのかわけが分からない。あるいは、少なくとも、 創作者の目から見ると、そのような疑いを持たざるを得ない状況に陥っている例 が少なからずある。例えば、エージェントと称する者が創作者に対してライセン シーとの交渉状況や契約状況について十分な情報を提供しないことにより、創作 者が自分の作品がどのような利用をされているのか分からないという不安な状態 に陥ってしまう。あるいは、エージェントと称する者が、"創作者の法律上の代 理人であるかのような"立場において作者の関知しないところでメディアなどの ライセンシーと契約を結んでしまうため、創作者としては悲しむべき粗悪な二次 的著作物が氾濫してしまう。さらには、エージェントと称する者が"創作者の法 的な代理人であるかのような"立場においてメディアなどのライセンシーと結ん だ契約は、創作者が自らの利益のために修正することは極めて困難となり、創作 者が知らない間に結ばれた契約に縛られてしまう。
このような現状においてエージェントという業務の法的意味を基本から問い直 し、あるべきエージェント業務の姿を問い直すことが、極めて重要になってきて いる。創作者側からの著作権なり著作物なりの管理をする者に対する疑念から生 ずるさまざまな質問のコアの部分は、どうやらここにあるようだ。本号では、こ れについてきちんと議論を展開する余裕がないが、いずれ検討してみることにし よう。
[2]これに対して、特許権の場合には、独自に開発し た技術がたまたま他人の特許発明に抵触した場合でも特許権侵害となるから注意 が必要だ。
[3]手続きの説明はここではしない。プログラムの著 作物の登録については、ソフトウェア情報センター( http://www.bekkoame.or.jp/~softic/ )へ、プログラム以外の著作物の登録については、文化庁(http://www.bunka.go.jp )へ。
[4]公証人法第35条。なお、山口和男著"公証役場 公正証書 活用のすすめ"(税務経理協会 1997年)238頁以下参照。