ネットワーク時代の知的所有権入門
今回は、新聞記事などの利用と著作権について考えていきましょう。
ところで、著作権法10条2項は、「事実の伝達に過ぎない雑報及び時事の報 道は、前項第一号に掲げる著作物(筆者中:小説、脚本、論文、講演その他の 言語の著作物)に該当しない」としています。本当に、新聞、雑誌などの時事 の報道は、自由に利用しても著作権には触れないのでしょうか?
著作権法が問題になったときの考え方の筋道は、大体(1)著作権が発生して いるか、(2)消滅していないか、(3)利用者の行為は侵害に当たるか(または法 定の自由に利用できる場合に当たるか)です。本件では、通常、保護期間(5 0年)は問題になりませんので、(1)と(3)を見ていきましょう。
(1)「思想または感情を創作的に表現したもの」であって、
(2)「文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」をいいます(著作権 法2条1項1号)。
なんだか分かったような分からないような表現ですね。(2)の用件は、主に 実用品のデザインとの関係で問題になるに過ぎません。そこで、ここでは80% の正確さでOKとして、著作物といえるためには、"その人の「考え」や「気持 ち」といった精神的活動を、全くの物真似ではなく、その人なりの個性で表現 したもの"で足りるくらいに理解しておきましょう[1]。
その理由は、新聞記者は、収集した素材の中から、一定の観点と判断基準に 基づいて、記事に盛り込む事項を選択し、構成し、表現します。したがって、 直接の文章表現上は客観的報道であっても、選択された素材の内容、量、構成 などにより、少なくともその記事の主題について、記者の称賛、好意、批判、 断罪、情報価値などに対する評価などの思想、感情が表現されているというの です[2]。
言われてみれば、新聞記事を呼んで「記事」に「腹が立つ」ことがあります よね。「腹が立つ」というのは、その記事に潜む「記者の思想または感情」に 腹を立てているわけですから、「著作物」といわれても、「まあそんなもんか な」とも思いますね。
ちょっと前まで、"署名記事は著作物だけど署名記事以外は著作物ではない からコピーしていい"という声を聞きました。でも、この基準はあまりにも無 根拠で通用しません。
したがって、新聞記事には原則的に著作権法による保護が与えられていると 考えたほうが安全ということになります。雑誌記事についても、同様です。
まず、参考になる裁判例(東京地裁平成6年2月18日判決)がありますの で、裁判所の考え方を見ていきましょう。
【事案】
Y社は、X新聞社が発行する新聞に掲載された日本の産業、技術、経済の関す る記事を要約の上英訳し、コンピュータ通信網、ファクシミリ、印刷物により 情報提供サービス(有料)を行なっていました。X新聞社は、Y社のこのような 行為に対して、著作権侵害を理由に損害賠償を求めました。 【Y社の反論】
Y社は、訴訟で問題となったX新聞社の新聞記事(以下、「X新聞記事」)が 「著作物」であることは認めたうえで、次のように反論しました。
(1)Y社の情報ソースは、X新聞記事だけではない。
(2)Y社は、X新聞記事のうち、創作性のある部分を捨象して、著作権の及ばな い生の事実そのものを、Y社自身の言葉で要約して翻訳している。
つまり、先ほどの質問にありました「情報ソースは、新聞、雑誌、TV、イン ターネットなどであるが、自分で電話、ファックス、電子メールなどで事実確 認を取っており、その情報を自分なりの言葉で書いてあるので、著作権法には 触れていない」という意見に似た反論が行なわれたのです。
【前提知識】
著作物をそのままコピーしたら、著作権侵害になるということは直感的に分 かりますよね。これを法律的に表現すると「複製権」(著作権法21条)侵害 といいます。この複製権以外にも、著作権には、「翻訳権」、「翻案権」(著 作権法27条)という権利があります。「翻案」[3]には、たとえば、小説を 映画化する場合、コンピュータプログラムのバージョンアップをする場合など がこれに該当します。
では、以上を前提として、裁判所の判断を見てみましょう。
【裁判所の判断】
(結論)
裁判所は、次の法律解釈を行なったうえでX新聞記事と該当するY社の記事の 比較検討を行ない、Y社の記事はX新聞記事の一部を省略し、表現が短縮され、 叙述の順序が変更されているが、X新聞記事の主要な部分を含み、X新聞記事が 表現している思想、感情の主要な部分と同一の思想、感情を有していると事実 認定を行ない、Y社の反論(2)を認めず、X新聞社を勝たせました[4]。 (裁判所の法律解釈)
(1)「翻案」には、原著作物(筆者中:小説が映画化された場合、小説を 「原著作物」と呼び、映画を「二次的著作物」と呼ぶ)を短縮する要約を含む。
(2)この「要約」は、「原著作物に依拠して作成され、その内容において、 原著作物の内容の一部が省略され又は表現が短縮され、場合により叙述の順序 が変更されてはいるが、その主要な部分を含み、原著作物の表現する思想、感 情を表現しているもの」をいう。
(3)著作物といいうる程の内容を含む記事であれば、直接の文章表現上は、 客観的報道であっても、収集した素材の中から選択された素材の内容、量、構 成等により、少なくともその記事の主題についての、著作者の好意、批判、情 報価値に対する評価などの思想、感情が表現されている。したがって、そのよ うな記事の主要な部分を含み、その記事の表現している思想、感情と主要な部 分において同一の思想、感情を表現している要約は、もとの記事の翻案に当た る。原著作物に依拠して直接外国語で要約が作られた場合も同様である。
要約が下手なせいで分かりにくかったかも知れませんね。でも、争点となら なかったので仕方ありませんが、この判決が、まずX新聞記事のどの点に著作 物性が認められるのかを議論した上で、Y社の記事と比較検討を行なう必要が あったとしたら、もっと要約しやすい判決分になっていたと思うのですけど。
Y社の記事の末尾には、「Ref.」(筆者中:Reference=参照)という表示が あり、X新聞社の新聞名と日付及び頁数が表示されていました。Y社は、前述の ように自社の記事の情報ソースはX新聞記事だけでなく、X新聞社以外の新聞も 「参照」としてあげている場合もあるとの反論をしました。しかし、X新聞社 は、そもそも自社の新聞のみが参照されているY社の11個の記事のみを選ん で本件訴訟で問題としました。そのため、Y社は、問題とされた記事において 他の情報ソースを具体的に挙げることが出来ませんでした。
そうしますと、訴訟上問題となった11個の記事については、Y社は、X新聞 記事のみに依拠して、自社の記事内容の信用性を確保していたことになってし まいます。そうしますと、少なくともこの11個の記事については、細かい理 屈は抜きにしても、X新聞記事に「ただ乗り」したY社はけしからんじゃないか という発想に導きやすくなるわけです。
しかも、X新聞社がY社に対して請求した損害賠償金は9,900円でした。9,900 万円ではありません。X新聞記事の使用料は1個の記事につき、少なくとも900 円はするとして11個の記事の著作権侵害として9,900円の請求をしたのです。 裁判所とすれば、著作権侵害の有無さえ判断すれば損害論で苦労しなくても良 い訴訟でした。裁判所としても、素朴な考えでX社を勝たせやすい事案であっ たと言えましょう[5]。
質問にあったように、仮に"自分で電話、ファックス、電子メールなどで事 実確認を取って、自分なりの言葉で書いている"としても、前記判決事案のよ うにその作業の甘い利用記事を狙い打ちして新聞社が訴えを起こした場合、防 御は難しいでしょう。
では、どうしたらいいでしょう?
文章の簡略化の方法には、「要約」の他に「抄録」があります。要約は「著 作物の内容がほぼ感得できる程度に簡約化したもので、既存の著作物を読む代 わりに読まれる程度のもの」を言い、「抄録」とは「著作物をごく短く短縮し たもので、著作物の紹介、索引を目的とする」ものです[7]。「要約」をこの ように定義するならば、それが翻案に当たり、著作権を侵害する(私的使用な どの著作物を自由に利用できる場合を除き)ことは前述の通りですが、「抄録」 は、原著作物にとって代わるものではなく、悪までもその存在を知らしめるに 過ぎないから、著作権侵害にならないのが通例です。ですから、この「抄録」 の限度にしておくというのが一番無難でしょう。
ただし、これにも落とし穴があります。個々の記事についての著作権侵害は なくとも、新聞の紙面構成自体も「編集物に対する著作権」として保護されて います(ウオール・ストリート・ジャーナル事件、東京地裁平成5年8月30 日判決)。したがって、その日の新聞に掲載された記事の全てを紹介すること は、この「編集物に対する著作権」を侵害することになります。
何だか憂鬱になってきますね。でも「情報の自由な流通」の大切さはもちろ んですけど、新聞社も商売で新聞を作っているわけですから、「ただ乗り」し て自分だけ儲けることを考えるのは都合が良すぎるのかも知れません。もっと も、個人が細々と楽しんでやっていることに仮に新聞社が介入してきたとした ら、そのときは戦わなければ仕方ないでしょうね。本当は、新聞社が記事使用 に際してのガイドラインを示して、どこまでは無料でやってよいかを皆に知ら せるべきなんですけどね[8]。
[1]参考文献:半田正夫「著作権法概説」(1994)一粒社、79ページ以 下
[2]参考文献:東京地裁平成6年2月18日判決(判例時報1486号110 ページ)。ただし、この判決文は、個々の新聞記事が著作物であるかを論じた 判決ではなく、その傍論部分を筆者がアレンジした。なお、この判決が本文で 紹介しているX新聞社対Y社の訴訟の判決である。
[3]翻案」とは、「著作物の内面的表現形式を維持しつつその外面的表現形式 を変更すること」(東京地裁昭和57年3月8日判決)とされています。
[4]興味のある方は、判決文の全文を読んでいただきたいと思います。解釈論 部分は納得のいく内容ですが、事実認定部分は、結論を先取りしたおおざっぱ なものであり、疑問が残る部分もあります。
[5](筆者のつまらぬ想像である当事者の声)
このような判決文を読むとき、つい、当事者の次のような声が聞こえてきます (あくまでも、筆者の体験にもとづく筆者の想像)。
原告(X新聞社)の声:「先生、これ見てください」(Y社の記事を示す)「う ちの新聞記事を勝手に英訳して商売している会社があるんですよ」「やつらも、 そのまま英訳するのは、さすがに気がとがめたンでしょうね。『てにをは』や 文章の順番を多少変えてますけど」「私ら、雨の日も風の日も、時には取材先 に嫌味も言われ、現場で苦労して取材したうえで記事を書いているんですよ」 「こんな他人のふんどしで相撲を取るようなことをされたんではたまったもん じゃないです」「お金の問題じゃないです。先生何とかしてください…」
被告(Y社)の声:「先生、X新聞社から、こんなもんが来ました」(警告書ま たは訴状を示す)「うちは別にX新聞社の記事だけを参考にして、記事を作っ ているわけじゃないのにひどいです。もっとも、**新聞や**新聞は記事に 主義主張が混じってて使いにくいんで、X新聞社の記事を主に利用していたの は事実ですけど…。ちゃんとお世話になったX新聞の名前も紹介して宣伝して やったのに…」「大体ですね。一旦記事になってしまった事実は、出来るだけ 多くの市民に迅速にかつ広く知らせることが社会のためです。これを新聞社に 独占させるべきではないです」「確かにうちのサービスは有料ですけど、翻訳 にお金がかかるんですよ…」
訴訟とは、どちらにもそれなりの言い分があるものです。
[6]細々と個人の楽しみで(当然無料で)テーマごとの新聞記事の要約を集め たデータベースを公開したからと言って、いちいち新聞社が文句を言うとはあ まり予想されませんけど…。
[7]文化庁「最新版著作権法ハンドブック1990」132頁。
[8]「エヴァンゲリオン」の画像掲載についてのガイドライン (http://www.gainax.co.jp/news_eva/copyright.html)参照。