弁護士寺本振透
Teramoto Shinto
http://www.st.rim.or.jp/~terra/
そこで、今回は、趣向を変えて、米国の1996年通信品位法違憲判決について宮下 が概要を説明して、寺本氏がこれに論評をするというスタイルで、問題提起をし たいと思います。
脚注[1]:
1996年10月24日付の日経新聞朝刊は、フランス政府は、経済協力開発機構(OECD)
の全加盟国に対して、「インターネット憲章」の作成を提案したと報じています。
新聞報道によると、この「インターネット憲章」は、インターネットに関連する
法的問題を包括する一般原則であり、猥褻物の規制なども含むものとされていま
す。
1996年2月8日、米国のクリントン大統領は、1996年通信品位法案に署名し、同 法案は、同日付をもって、法律として成立した。この法律は、1996年電気通信法 の第5章を構成するものであるが、以下のような趣旨の規定を含むものであった。
§223(a)下記の者に対する処罰規定。
(1)(B)18歳未満の者が受信者であることを知りながら、わいせつな(“obscene”)、
または、下品な(“indecent”) 画像等を送信した者、又は、
(2)前項によって禁止された行為のために利用されることを知りながら、自らが
管理する電気通信施設の利用を認めた者
§223(d) 下記の者に対する処罰規定。
(1)明らかに不快な(“patently offensive”) 態様で性的行為等を描写した画像
等を、(A)知りながら18 歳未満の者に送信した者、又は、(B)18歳未満の者がア
クセスしうることを知りながら表示した者
(2)前項によって禁止された行為のために利用されることを知りながら、自らが
管理する電気通信施設の利用を認めた者
上記の法律が成立した、まさにその日に、American Civil Liberties Union等 は、同法中の上記2つの条項が憲法に違反するものであることを根拠として、ペ ンシルヴァニア州東部地方裁判所に、一方的緊急差し止め命令(“temporary restraining order”)の申し立てを行った。同年2月15日、裁判所は、§223 (a)(l)(B)が、あまりに漠然としたものであり、憲法に違反するものと判示し、 同条項の執行の停止に関する一方的緊急差し止め命令を発した。そして、同日、 両当事者及びペンシルヴァニア州東部地方裁判所の要請により、第三巡回区連邦 控訴裁判所において、予備的差し止め命令(“preliminary injunction”)の審理 が行われることとなった。その後まもなく American Library Association, Inc. 等も同様の中し立てを行い、この事件も前記の事件と併合して審理される ことになった。
1996牛6月11日、第三巡回区連邦控訴裁判所は、申立人の申し立てを認め、上 記各条項の執行の停止に関する予備的差し止め命令を発した。但し、§223 (a) (1)(B)及び§223(a)(2)のうち、猥褻(“obscenity”)及び児童ポルノ(“ child pornography”)の禁止に関する部分の執行の停止は、認められていない。裁判所 が憲法違反を構成する蓋然性が高いと判断したのは、「下品な(“ indecent ”)」 という語と「明らかに不快な(“patently offensive”)」という語が、いずれも あまりに漠然としている、という点であった。
表現の自由は、民主主義社会における根本的な原則であって、憲法上保障され た基本的人権の1つと考えられています。しかし、言うまでもなく、詐欺や脅迫 を構成する表現や、名誉を毀損する表現等までもが認められているわけではあり ません。また、「猥褻」な表現に対しても、一定の限度(例えば、未成年に対す る場合とか公然行なわれる場合)には、制限することも許されるというのが、一 般的な考え方だと思われます。裁判所が、猥褻(“obscenity”)及び児童ポルノ (“child pornography”)の禁止に関する部分の執行の停止を認めなかったのは、 これらの表現の禁止は、憲法上許容される制限の枠内であると判断したからと言 えます。一方、憲法上の表現の自由に関連して、「漠然ゆえ無効」という考え方 かあります。この考え方は、漠然とした規定によって、表現の自由が制限される ことになれば、本来認められるべき表現も制約されることになってしまうので、 そのような漠然とした規定は無効とすべきだという考え方です。また、適正法定 手続きの保障(簡単に言えば、政府による恣意的な制裁から国民を守るため、刑 罰等が課せられる際には、法律が定めた適正な手続きを経ることが必要である、 という原則。法律の規定によらなければ刑罰を課されることはない、という罪刑 法定主義と呼ばれる原則を含みます) に基づき、漠然とした刑罰規定は、本来刑 罰の対象とならない行為まで制約することになるので、同様に憲法に違反するも のとされています。前記の判例は、「下品な(“indecent”)」という語と「明ら かに不快な(“patently offensive”)」という語が、いずれもあまりに漠然とし ているため、表現の自由及び適正法定手統きの保障に関する憲法上の要請に違反 するということを判断しているわけです。
では、ここからは寺本先生に解説していただきましょう。
さて、ネットワーク上での猥褻物の流布に対する規制については、とりわけ米 国のCDAには、表現の自由の面からも、適性手続きの観点からも、問題があるこ とが明らかにされつつある。CDAの命は絶たれるだろうか?だが、CDAまたは同種 の日本またはその他の国における新規立法が不成功に終わるとしても、それで終 わり、というわけではない。なぜなら、米国では従来からの州法による様々な猥 褻物に対する規制があるし、日本またはその他の国でも、刑法その他による猥褻 物に対する規制があるからだ。では、その規制の内容は、我々が納得できるほど 明らかな基準を持っているのだろうか?いや、それらは、結局、“なにが猥褻か” の基準を一般社会通念なる瞬昧模糊としたところに求めざるを得ない。残念なが ら、私には、なにが一般社会通念なのかよくわからない。常々疑間に思っている ことを挙げてみる。
好色な(あえて“猥褻”とはいわない)情報のの発信の規制に対しては、送り手 の立場からは、“表現の自由”を根拠として強硬な反対論が出ることになろう。 また、受け手の立場からは、道徳規範の保全や未成年の保護を根拠として強硬な 賛成論が出るのかも知れない。だが、人間は、それほどまでにどちらか一方の立 場を固守できるほど白黒はっきりした精神を持っているのだろうか?少なくとも、 私は、そうではない。環境次第で、好色な情報に触れることを嫌うこともあれば、 好んでそれらを受信することもある。
例えば…
早朝、俺は丸の内線のシートに座っている。まだ覚醒しきっていない。眠い。
だが、目を瞑っても眠れぬ。俺の前で銀行員らしき男が吊革につかまって、経済
新聞の第一面を読んでいる。当然のことながら、最終面が俺の顔の前で揺れてい
る。そこには、どういうわけだか、官能小説が連載されているらしい。みだりが
はしき漢字と裸体の挿し絵が、俺の目の前で揺れ続ける。男は気づかない。男は、
第一面なめるように読み続ける。まだ朝の6時半だ。そんな気分じやないんだ。
吐き気がする。はやく別の面をこっちに向けてくれ。今日こそは大手町まで乗り
越して新聞社に火炎瓶を投げに行こう。だめだ、ガソリンを忘れた。そういえば、
ガラス瓶もないな。ペットポトルじや火傷しそうでこわいしな…
午後十時、吊革にしだらなくつかまって、隣のおばさんが読んでいるスポーッ 紙のボルノをのぞき込んでいる馬鹿面は…俺だ。
送り手も受け手も大人であるならば、両者が合意している以上、好色な情報の 発信を国家が規制しなければならない合理的な理由があるとは思えない。だか、 否応なくそれを見せられる受け手、あるいは、何かの拍子に意図せずにそれにふ れて困惑する受け手がいるかもしれない環境においては、送り手は自制すべきだ。 受け手の方も、それか不快だと感ずるならば、国家による規制を求める前に、民 事上(不法行為)、送り手に対して不快な情報の排除を請求すべきなのかもしれな い。とはいえ、現実に存在しているだろう性的侵犯(セクシャル・ハラスメント) の数に対して、実際に裁判所内外でなされる性的侵犯に対する明確な抗議の数が 著しく少ないことからもわかるように、それは、経済的にも、精神的にも、加害 者よりも被害者にとってはるかに犠牲の大きい戦いとなりそうではある。御上が 処埋してくれる方が楽でいいじやないか、というのは抗しかたい誘惑だ。だが、 国家による規制が暴走しないという保証はない。
国家が好色な情報を規制する場合、おそらくは、表現の自由に配慮し、基準を 明確にする、というタテマエから、情報が発信されている環境よりも、その情 報の中身(何が写っているか?)を基準として、禁止・黙認の区別が行われるの ではないか、と私は危恨する。だが、受け手の選択の自由を重んじようとする私 の立場からすると、それは容認しがたい結果を招く。
多くの場合、ハード・コアなもの、あるいは、フェティッシユなものほど、人 目を忍んでやりとりされるから、見たくない人の面前にいきなり飛び出してくる ことは少ない。たとえば、一般誌にそれらの情報が載るとすれば表紙や裏表紙で はなく中ほどのページに載るだろう。また、そのような情報で埋め尽くされてい る専門誌ならば、一般の書店の店先に平積みされているのではなく、専門書店の 薄暗い棚にあるだろう。WWWサイトならば、第一ページではなく、警告メッセー ジの後ろに置かれているだろう。このような情報を、成人の受け手か自ら選択し て見る場合に国家が規制する実益はあるまい。だが、上記のような単純な規準で は簡単に規制されてしまうだろう。
一方、国家か規制を躊躇するような一見ソフトなものは、堂々と大手を振って まかり通ることになる。その結果、顔の前に読みたくもない官能小説を押しつけ られたり、テレビを見ていると突然、車にもたれて腰を振り続ける女の尻のアッ プか出てきたり(何のCMなんだ?)、女と馬の尻のアップか並んだり(馬だけでよ ろしい) するのは野放しとなる。
受け手の同意のもとで発信される好色な情報が規制され、受け手が同意しない ままに突然目の前に現れる情報が野放しとなるのでは、国家が性的マイノリティ の趣味を抑圧しつつ、大資本による性の商品化を庇護していると非難されても言 い訳が立つまい?
とりわけ、インターネット上では、情報がデジタル化されているから、見たく ない情報を自動的に自分に見せないようにするソフトウェアの利用は、従来の紙 媒体やテレビに比べて容易だと推測できる。だとすると、インターネットを含む 電気通信に限って好色な、または、下品な情報を従来のメディアよりも厳しく規 制しようとするのは不合理だ。まさか、インターネット利用の普及のおかげで、 合法的猥褻性に満ち満ちた情報の流布を独占できなくなると恐れた旧来の出版業 界の陰謀ではあるまいね?
そもそも、好色であったり下品であったりすることは悪いことなのか?無理に それを覆い隠そうとすることは、ある特定の文化に属する人々の独善にすぎまい。 それは、見たくない人の前に突然好色な情報を見せつけることと同様、受け手の 選択の自由を奪うものである。
昔から、辻々には男根の形をした金精様が祀られていたりしたものだが、一部 の文化に属する人々の道徳観に従ってそれにパンツをはかせたり、あるいは、 “ヘアはよいか性器はだめ”だとかいう御上の基準に従って毛をはやしたりする ならば、とんでもないお笑いだ。
清教徒的純潔主義からすれぱ、源氏物語のおもしろさはわかるまい。ひょっと すると、源氏物語を英訳してインターネットで流すと、CDAによって罰せられる かも知れない。
やむごとなき方々の性的ゴシップを禁止するならぱ、今昔物語集巻第二十の “染殿の后、天狗のために(にょうらん)せられたる語”(角川文庫版、本朝仏法 部下巻355頁)を流布するわけにはいくまい。
入力者注:「にょうらん」の漢字、見つからず。
スカトロを禁止するならば、平中(へいぢゆう)が恋いこがれている女の大小便 を盗もうとして失敗したという、今昔物語集巻第三十の“平定文、本院の侍従に 懸想せし語”(角川文庫版、本朝世俗部下巻220頁)の流布もやばいことになる。
フェティシズムを排除するならば、古今和歌集巻第十四にある、−−−親の守 りける人のむすめに、いと忍びに逢ひて、ものら言ひける間に、親の呼ぶと言ひ けれぱ、急ぎ帰るとて、裳(スカートですな)をなむ脱ぎ置きて入りにける。その 後、裳を返すとて、よめる−−−“逢ふまでのかたみとてこそ留めけめ涙に浮か ぶもくづなりけり”(岩波新古典文学大系版、226頁)のおもしろさがわからなく なる。
超ミニスカート&ルーズソックス風なファッションを検閲するなら“風の谷の ナウシカ”は放映禁止となるやもしれぬ。
これらを受け入れるかどうかは、個々の受け手が決めるべきことであって、特 定の文化に属する人々のお節介を受けなければならないいわれはない。そのよう な干渉は、信仰の白由(日本国憲法第20条)をすらないがしろにするものだ。たと えば、理趣経にば、“男女の交わりの妙なる恍惚境、それも実に菩薩の境地であ る”という趣旨の文句があるという(PHILIPS密教−阿字観瞑想PHCP−3318〜9)。
国家は、無節操に、一部の文化圏の独善的な価値観や道徳観に追随して、わが 国古来の性的におおらかな文化を打ち棄てるべきではない。国家は、ネットワー ク上で、積極的にその役割を果たすべきだ。国家の役割とは、国民に対する外国 の政府または私的グループのお節介な干渉に手を貸すことではない。見たくない ものは見ないことを選択でき、見たいものは見ることを選択できる、そして、見 たい人に対しては安全に情報を発信できる、ネット上での国民の自由と独立を、 外国からの干渉に対抗して、保障することである。わが国の警察は、外国の警祭 権力やその協力者たちが、横暴にもわが国民のネットワーク上での活動に干渉す ることを排除するためにこそ、ネットワーク上で活動すべきである。外国政府に 追随してわが国民に矛先を向けるようでは、独立国とはいえまい。