INTERNET MAGAZINE 1996.6 より、転載

ネットワーク時代の知的所有権入門
第16回
特別編…特別座談会「ネットワーク時代の権利のこれから」
−商標、そしてネットワーク時代の裁判所−

ネットワーク知的所有権研究会

弁理士 松倉 秀実
Matsukura Hidemi

弁護士 宮下佳之
Miyashita Yoshiyuki

弁護士 寺本 振透
Teramoto Shinto



はじめに

今月号は、 連載でおなじみの方々が一堂に会して座談会をするという特別編です。

いつもの読者の質問に応えてくださる立場から、 今後ネットワークにおいて問題になるであろう事柄を提起してもらい、 それらについてじっくりと話しあっていただきました。 さて、どんな議論が展開されるのでしょうか?

今回はまず、 先に到着した松倉先生と宮下先生の対談に (商標をテーマに話しが始まりました)、 ちょっと遅れてやってきた寺本先生が二言三言加えるという流れです。


国境を越える商標

松倉
インターネットの知的財産問題というと、 まず著作権問題が中心に議論されていますが、 商標の分野でも問題が出てきているケースがあるんです。 1つはホームページ上に表示された商標の問題、 もう1つはドメイン名と商標の問題なんです。

現在は商標は各国ごとに権利が発生するという属地主義が原則になっており、 世界的に著名な商標でなければ同一の商標でも日本とアメリカとで別々に商標権が併存していることがありえるわけです。

このような状況で、 たとえば我々はアメリカで立ち上げたサーバーに蓄積された商品の商標を、 それがアメリカからの情報だと意識することなく、 日本の端末装置で見ることができるわけです。 このときに、 アメリカでは問題のない商標でも日本では別の商標権者がいるために商標権侵害となる可能性があります。

具体的には通信販売のホームページを開設してそれを国内外向けにインターネット上で PR すれば、 すぐにこのような問題にぶつかることになるわけです。

宮下
商標をどこで使用しているかという問題を考えるときに、 サーバーの場所だけでいいのかという問題があるわけですね。 先の例でいくと、 海外のサーバーに商標データが置かれているとしても、 それを見るのは日本のユーザーだから、 日本のユーザーはいわば自分の手足のようにそのサーバーを使用しています。 つまり、 海外のサーバーを利用してユーザーは日本でその商標を認識しているんです。 変な話しですが理屈としてはこうなりますね。

松倉
そうですね。 商標として認識されるのは日本国内の端末装置上のビューアーであるわけですから、 当然日本国内の商標権者の業務上の信用を毀損する可能性があるわけです。 これを日本国内での商標権侵害行為としてとらえた場合に、 国境を越えたアメリカのサーバーを差し止めることができるのでしょうか?

宮下
執行の問題ですね。 もし海外のサーバーに侵害商標(日本国内からみて)を載せているのが日本の企業であれば、 まずその企業を被告として訴えを起こします。 そして、 海外のサーバーを運用しているような企業と契約して、 海外のサーバーに侵害商標を載せるような行為はいけないという命令を出せばいいのかな?

松倉
ただ、サーバーが海外に置いてあっても、 日本語で表現されていれば、 それは日本向けの情報であることが推測できるので我が国の問題として捉えることができるでしょう。 けれども、 英語で全世界に向けて発信されている情報だとしたら、 その情報を受ける日本では侵害商標だが、 他の国では侵害にはならない、 また別の国では侵害だとか、もう収拾がつきませんね。

宮下
その場合にはかなり苦しいですね。

松倉
製造者責任 (PL) の視点からも問題になると思うんです。 これは宮下先生のご専門ですね。 たとえば、 あるホームページに英語で中古自動車の広告を出しておいたら、 中南米のある国から注文が来たとします。 そして、 その国は真夏の日中の気温が 40 度以上にもなる砂漠の国だったとします。 この場合に、 中古自動車の販売業者はその国に中古車を販売してしまって問題はないのでしょうか?

宮下
PL や商品の品質保証の視点からは、 これはどこの地域向けのものですよということを明示した方がいいでしょうね。 そうしなかったら、 「見られる可能性のある国におけるすべての仕様について責任を負うべきだ」 等と言われかねませんから…。

しかし、 商標の問題に関しては世界中のどこの国からアクセスされるかわからないわけだから、 その全部の国について商標をチェックしておけというのは無理ですよね。

松倉
たしかに、 すべての国での商標チェックは無理ですが、 現実に商品を扱うのならば、 通常の国際取引でも輸出先国での商標はチェックする義務があるわけですから、 最低限販売できる国の商標はチェックしておく必要があるのではないでしょうか? これは、 世界単一市場化に伴なって新たに生じてきた問題ですね。

さて、座談会に遅れてきた男、寺本です…

上記の松倉先生と宮下先生のお話は、 現行商標法の体系のうえで、 ある商品又はサービスの信用をシンボライズする記号が国境を超えてディスプレイされる場合の、 法的リスクを議論してくださったのですな。 そして、僕らは、 ビジネスをするうえで、 両先生がお話ししてくれたさまざまな法的リスクを避けて通ることはできませんね。 これら法的リスクが発生する理論的な説明、そして、 これら法的リスクをより安全に回避するための具体的かつ現実的な方法については、 今後読者のみなさまからの具体的な質問に応じて説明していくことになるでしょう。

商標(?)の取り扱い方

それはそれとして、 もうちょっと長いスパンで眺めた話、 つまり、国境だとか、 ある一国の中だけでの法律 (法律っていうものは、 条約とか解釈とか特別な規定によってある程度修正を受けることがあるとはいえ、 本来そういうものなんですな。 なぜかって?日本国民の代表だけしか参加していない日本の国会が成立させた法律によって、 代表を送り込んでいない外国の人が日本の国の外でやった行為に、 その日本の法律が適用されるのって変じゃないですか。 代表なくして規制なしってわけですね!) だとか、 狭っ苦しい話が全部ふっとんでしまう世界では、 商標(というより、もっと現行法に縛られない言葉を使うべきですかな? そう、先に挙げた ”ある商品またはサービスの信用をシンボライズする記号” という表現がよいでしょうかね。 いや、長すぎますな。 やっぱり、 ちょっと居心地が悪いけど、 ”商標”って言葉で我慢してもらいましょうかな)を、 僕らは、 どんなふうに取り扱えばいいんでしょうか?

地理的範囲に限定されない消費者の出現

たとえば、 あるイタリアのデザイナー (A) が靴について有名な商標 [G] を古来より使っていたとすれば、 日本で別の人 (B) が同じ商標を登録していたとしても、 四角四面に (B) が (A) を排除できるっていう結論ではなく、 むしろ、 (A) を勝たせたほうがいいんじゃないかという考え方だってすることができますね。

もし、多くの消費者が、 「[G] というマークがついているのは (A) の製品だ、 だから、そのデザインは素敵だし、品質だって最高だ!」 と考えているならば (まさに、これが、商標が商品またはサービスの信用をシンボライズする場面の典型ですね)、 (A) が勝ってくれるほうが消費者は安心して靴を買えるんじゃないですか? この問題は、 商標の専門家によれば、 ”真正商品”の問題っていうネーミングを与えられることもあるらしいですよ。

でも、 こうした”真正商品問題”ふうな切り口が問題をすべて解決してくれるわけじゃないでしょうね。 同じような商標が同じような商品やサービスに関して各国で同時多発的に使われ出すかもしれません。 消費者に対する人気っていう面からみても、 どれかが一人勝ちするとは限りませんねえ。 下手をすると、それぞれが、 ”知る人ぞ知る”ブランドになってしまうかもしれません。

しかも、”知る人”が同時多発的にさまざまな国に生まれるかもしれないですしね。 そもそも、誰からでも、誰へでもつながることができる電子ネットワーク上で商売をするとなると、 ある1つの商品なりサービスなりの消費者がどこかの国に限定されるとは限りませんね。 むしろ、特定の商品なりサービスなりの消費者層というものは、 地理的範囲よりも、むしろ、 趣味とか嗜好とか職業とかによって限定されるんじゃないのですかな?たとえば、 アニメの主人公のフィギュアなんて、 日本だろうが、アメリカだろうが、 オタク(西海岸じゃ、オタクこそが Cool!)という層が潜在的消費者層なわけで、 どこに住んでるかなんて関係ないのです。


息詰まる/行き詰まる(?)権利

そこで、僕は、これからは、 国境を越えた any to any のネットワーク上で ”商品を識別するための記号に対する法律問題” というとらえ方をすべきなんじゃないかなと考えるのです (あんまり真に受けてアセらないで!そこの企業法務部のお方。 座談会に遅れてきた男は、実は、”早すぎた男”かもしれないですぜ!)。 国境を越えて自由に (国家としては規制したいことがあるだろうし、 法律も規制はするでしょうね。 だけど、無理なもんは無理ですよ。 僕は、規制が何でもイカンというつもりはさらさらないけれど、 現実に法律が逆らうのは無理ですな)情報、商品、そして、 サービスが行き来する以上、 成文法や国家から与えられる (patented! まさに特許=パテントの語源ですねえ) 権利というとらえ方は、 遅かれ早かれ息詰まる (”行き詰まる”とタイプするつもりで、”息詰まる”が出てきたんですが、 あまりに素晴らしい漢字変換なのでそのままにさせてください!) だろうと、私は、考えております。

結局は、より多くの消費者を喜ばせた商標が勝つのかもしれませんね。 仮に、 法律がそうではない商標を勝たせようとしても、 消費者の人気は正直ですよ。 消費者を喜ばせることができなかった商品やサービスの商標は、 結局は、 消えていくことになるんじゃないでしょうか? 知的財産権訴訟で勝ってビジネスで負けたんじゃ、 冗談にもならないんじゃありませんか?


ネットワーク時代の裁判所には、痛み分けも必要

もう1つの、多くありそうな場面…つまり、 同一または類似の商品なりサービスなりの名称が別々に育ってきたとき…は、 どうなるんでしょうかね?

裁判所の権限 (昔で言う国王の温情ですかね) による痛み分けも必要なんじゃないでしょうか。 で、それこそ、 ネットワーク時代の裁判所に期待される本当の役割なのではないかなと。 そこでは、裁判所は、 四角四面に法律を適用するんじゃなくて、 裁判官の全人格的な温情が期待されるという分けです。


実は、

実は、現在、すでに、 日本を含む多くの先進国の裁判所は、 事実に即した結論を導くべく努力されているのですね。 だから、”四角四面に法律を適用する裁判所” なんてのは夢か幻であって、 そんなものが存在するわけじゃありません。

余談にはなりますが、 ある裁判例が取り扱った事実をよく見ないで、 結論だけを取り上げて、 鬼の首をとったようなことを言ってはイカンのですね。 また、何か問題が発生したときに、 以前の裁判例が取り扱った事実と今回の事実との細かな違いをよく考えないで、 ”ああ、そりゃあ、前にこんな判決があったから、 今度もXXでしょうね” と決めつけるのは、 間違いのもとになるんですな。

それに、 新聞やテレビで報道される程度の至極簡単な事実(の一部!)のみを聞きかじって、 「ああ、この人は懲役6年でしょう」 とか 「こんなもん執行猶予に決まってます」 とか放言してもイカンのですね。

で、こうした裁判実務の中で、 弁護士のいちばん大事な仕事は何かって言うと、 純粋培養の法理論じゃないのですね。 そうではなく、 ”事実を区別すること”なんです。 つまり、 自分の依頼者のケースにとって不利に見えるような裁判例があったとします。 すると、依頼者のケースで存在する事実は、 以前の裁判例のもとになった事実とは、 こんなところが違いますよ。 だから、今回は、 以前とは違う結論にしなきゃ不合理ですよというかたちで、 裁判所を説得することなのですね。

ところで、このような、裁判所による、 より自由な結論の導き方を思考するアプローチは、 おそらくは、英米法市民にとってはなじみ深いものなのかもしれませんね。


たとえば、、、

たとえば、X 人種と Y 人種の間の人種差別をなくしたい。 そのためには、子供のうちから X も Y も同じ学校に通って一緒に勉強したり遊んだりすべきじゃないかという理想論があるとします。

でも、X 人種に金持ちが多くて郊外の高級住宅街にばかり住んでおり、 Y 人種に貧乏な人が多くてスラム街に住んでいるとすればどうでしょうか?

単に、「学校は、すべて、人種の分け隔てなく子供を受け入れるべし」 と命令したって、 無意味ですね。なぜなら、子供たちは、 地元の学校に通うでしょうから、 郊外の学校が Y 人種の受け入れを拒まないと言ってもスラム街からわざわざ郊外まで Y 人種の子供が出かけていくことはないでしょう。

しかし、 裁判所の命令で郊外からスラム街の学校に X 人種の子供たちを運ぶスクールバスと、 スラム街から郊外の学校へ Y 人種の子供たちを運ぶスクールバスを運行させれば、 子供たちは混ざり合うことができます。

実際、この種の方策は、 米国で裁判所の権限によって実施されたのです。

けれども、 英米法に比べて裁判所の裁量の自由度が低い、つまり、 四角四面とは言わないまでも、 文字に書かれた法律に裁判所の判断が縛られる程度の強い大陸法の市民 (日本もこのなかまに入ると言われています)にとっては、 このようなアプローチは、 あまりなじみのないものであると言えましょう。 それゆえ、米国の法律家たちがネットワーク法でも主導権を握るのも当然の成り行きなのでしょうね。 でも、米国外からのネットワーク法の新しい考え方の発信があってもよいし、 その可能性を信じたいですね。


ネットワーク時代の知的所有権入門